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名乗り、歩み、壊すこと

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保育園の文集には将来「お花屋さん」になりたいと書き、中学でテニス部に入ったのは「テニスの王子様」が私の生きる道だと信じて疑わなかったから。


現在29歳。
私は「衣服標本家」になりました。



肩書きに こだわり はなく2年前、独立した時につくった名刺にのせた肩書きは「モデリスト・ブロガー・デザイナー」でした。

本職の「モデリスト」がニッチ過ぎる職種のため、ノリでブロガーとデザイナーも添えてみたのです。(ブログで収入を得たことは無い)

今までは「モデリスト」と名乗ることが多かったですが、これからは「衣服標本家」と名乗ってみます。

今回の投稿は、その経緯を紹介します。
2016年9月に独立してからの私は、上記図のようなイメージで仕事をしていました。
(実績はコチラから)
モデリスト業務を中心に、全国で個展を開いたり、美術館などでレクチャーを担当していました。

全ては「100年前の " 感動 " を100年後に伝える」ためにです。


2017年末。
石坂昌也さんに個展の相談したことをキッカケに、自分の仕事を「棚卸し」してみました。

自分のやってることは、本当に感動を伝えられるものなのか?と・・・
棚卸しの方法は至って簡単。上記図の通りです。

自分の仕事を4つの視点から俯瞰してみました。

  • コンセプト
「100年前の " 感動 ” を100年後に伝える」仕事となっているのか?
  • 希少価値
オリジナリティはあるのか?競合他社はいるのか?
  • 継続性
5年後、10年後もその仕事を続けたいのか?むしろ、あるのか?
  • お金
収益化できているのか?



薄々勘づいてはいましたが、改めて「モデリストって名乗ってるけど、やりがい感じてないじゃん自分」と気付いたのです。

そして同時に「半・分解展が収益化できるようになれば幸せすぎるじゃん自分」とも。

それからの行動に迷いはありませんでした。
目の前に迫る「半・分解展 2018」に向けて猪突猛進です。
結果は、想像以上のものでした。

背水の陣で挑んだ個展。
家族や信頼する仲間、先生に支えられ、何とか走り切ることができました。


振り返れば、2016年に初めて行った半・分解展は、売り上げは100万円以上だったものの、利益は僅か5万円程度。
半・分解展がキッカケとなり生まれた仕事もありましたが、一過性のものが多く精神的に摩耗してしまいました。

その反省をいかし、待ちの姿勢はやめました。
私は、私の足で未知なる一歩に挑戦し続けます。

肩書きを変えたのも、歩みを止めない為の小さなギアチェンジなのです。
 衣服標本家:長谷川
半・分解展 を基軸とし
100年前の " 感動 " を100年後に伝える ために仕事をつくっていきます。


月末に、2つの大切な告知をします。

ひとつは、私塾「デミ デコ ラボ」の詳細発表。8月に説明会を原宿で開きます。

もうひとつは、私のブランド「129」のオーダー会詳細を発表します。8~9月に東京と名古屋で行います。完全予約制です。

この仕事がどうなるかは完全に未知ですが、私は私ができることを誠実にやるだけです。


モデリストの仕事は辞めません。
信頼できるクライアントとのみ、ものづくりを続けます。
そして、まだ見ぬ出会いにも積極的に向かっていきます。ご用命ありましたらコチラからお願いします。


最後は、衣服標本家という肩書きを考えてくださった中野香織先生の「肩書きは自分でつくれ/ミレニアルズのブランディング」という投稿をシェアして終わります。


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