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質疑応答

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Q:長谷川さんにとって(服に限らず)分解する行為はどんな意味を持ちますか?

→食べることです。
人が食べなければ生きていけないように、私は分解しなければ生きていけません。
私にとって分解することは食べることなんです。
生きるエネルギーになります。
私にとって分解とはそのような意味を持っています。


Q:「構造を知りたい」という探究心は長谷川さんの魅力の1つだと思うのですが服に限らず「分解して構造を知る」という行為を通して長谷川さんが学んだこと・分かったことはなんですか?
また学んだ事を活かして世の中に伝えたい事はありますか?

→「知らない」ということを知りました。
歴史的な物のほとんどは、先行研究が進んでいます。情報が大量にあります。
なので、知らず知らずのうちに知ったつもりになっているんです。
この服は、こんな服でこう縫われていて、こういう構造だ。と。
しかし、私は自分の手で本物を分解し、必ずしもそうではないことを知りました。
如何に自分が知ったつもりになっているのかを知れたことは、純粋な学びのヒントになります。
教育機関で講義をするとき、私はよく間違うことや知らないことは、恥ずかしくないと伝えます。
それが本当に好きなものなら、外部の情報だけを鵜吞みにせず、自らの手で探る楽しさを伝えたいです。


Q:100 年前の服の魅力を一言で言うとなんでしょうか?

→創造(想像)の根 でしょうか。


Q:昔の服の技術が現代の服作りに取り入れられている事もあるのでしょうか?
具体的に教えて頂きたいです!

→私は、俯瞰してみればある、近付いてみればない、と答えます。
歴史は地続きなので、なにかしらの技術は取り入れられているでしょう。
しかし、時代に合わせて進化しているはずです。
資本主義に生きている以上、その美学に沿ってかたちを変えています。
どうやら進化とは、生産性の向上と消費の促進化を指すようです。
その進化に、当時の技術は邪魔でしかありません。
手作業は効率的な機械に置き換えられていきました。
私の研究する技術とは、その廃れた技術なのです。
始めに書いた、俯瞰してみればあるとは、衿がある、ポケットがあるといったことです。
しかしそれは技術というのでしょうか。


Q:古着屋で出会った消防服がきっかけで衣服標本家としての活動を始めたと思うのですが、初めてその消防服を見た時の印象はなんでしょうか?
また、なぜ構造が知りたいと思ったのでしょうか?

→印象は、これは一体なんだ?です。
美しいけど歪んでいる。
力強いけど脆い。
古いのに新しい。
なぜ自分が、その1着に目を奪われているのかが言葉にできない。わからない。
好きなのに、好きと説明ができない。
混沌とした感情が沸き上がってきました。
その感情から逃げたくない、向き合いたい。
そのために購入し、よく観察する、隅々まで触る、自分で着てみる、鋏を入れる、分解する、型紙をとる、縫ってみる。
そこまでやって、感情の根源に「構造」という原子を発見しました。
始めは、知りたいなんて思ってないんです。
終わったら、知っていたんです。


Q:フランスの消防服はただの作業着なのに細部へのこだわりや丁寧さが今の洋服とは違うという事でしたが、具体的に教えて頂いても良いでしょうか?

→内部構造です。
例えば、内部に大量に布を残して縫われています。
これは後々にサイズ調整ができるように残されているのです。
現代の作業着でこんなことはしません。
なぜなら、布を残して縫製するということは、非常に難しいのです。
適当に布を残すと、内部でずれてシワが出てしまいます。
シワを防ぐために、アイロンで下処理をしたり、手縫いで仮止めをします。
非常に手間のかかる仕事です。
現代では極一部のオーダーメイドの服にしかできない手仕事です。
それが、当たり前に普通の作業着にされていた。
そこが面白いんです。


Q:現代の洋服に対して何か思うことはありますか?
それを踏まえて衣服標本家としての今後の展望はございますか?
例)今の服は昔の服と比べて〇〇というところが劣っている
今後は自分の型紙を通してもっと着心地の良い服を普及していきたい!

→現代の洋服に対しては、バーチャルで着る洋服がどうなるのか興味があります。
それを踏まえての展望は、半・分解展の価値を深めていきたいということです。
社会が、文化が、テクノロジーが進めば進むほど、人は古いものに価値付けをします。
人々が本物に飢えたとき、その飢えを満たすことのできる頂点が半・分解展でありたいと考えています。

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