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誰の100年か

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「 100年前の 感動 を100年後に伝える」

これは、20歳のときに私が決めた私の生き方。
この「100年」も、この「感動」も、すべて20歳の私のことを指している。

半・分解展に展示している旧き衣服は、そのほとんどが100年前のものではない。
多くは150年ほど経過しており、200年、250年前以上の衣服も少なくない。

しかし、私は「100年前の 感動 を100年後に伝える」という言葉を言い続ける。
数字は語呂合わせみたいなもので、100という数字は区切りが良いから使っているし、記号のひとつに過ぎない。

20歳のときに100年前だったものも、33歳になった私にとっては113年前のものになっているし、20歳のときにみた100年後は87年後に迫っている。

あの日、100年と決めたときから刻み始めた時間が、13年経ったということが私のすべてである。
私は、あの日の私のままで13年間を生きられたかを問う。

誰の100年でもない、誰の感動でもない、私の時間と感情を生き続ける。

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