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技術職の未完成

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私は、古道具屋巡り、雑貨屋巡りが好きです。

さまざまなインスピレーションを授かるからです。
モノと対峙し考える時間が好きなのです。


私が好むお店は、お洒落とは程遠いです。
雑多な商品が山積みにされ、無造作に値札が貼られ、まるで宝探しをしているようです。

ふと目に留まる商品は、一見なんだかわからないものばかりです。
何かの道具のような。部品のような。
それ単体では、未完成のような価値のないような抽象性の高いものに私は惹かれ、お金を払います。


この行為は「自らが見出す価値」にお金を払っている。と、捉えることも可能です。


相手から「希少です」「高品質です」「物語りがあります」と提案されるよりも、自らが「私にとって美しいものだ」「私にとって興味深いものだ」と見出すことに私は豊かさを感じます。

自身が価値を見出す場合、それはオリジナルの感性となり得ます。
更には、そのモノが抽象的であればあるほどに独自の解釈となりオリジナリティは増していきます。


私は、半・分解展を「自由に価値を見出す場」にしたいと考えています。

半・分解展には、一見なんだかわからない衣服が並びます。
来場者と衣服の関わり方、ある一線までは、私が道案内をします。
そこから先の捉え方は四方に道が枝分かれしているような、来場者が自らの意志で歩みだすような表現をしたいです。


その表現のために、私は未完成をつくりあげます。
視覚ではなく、触覚からの道案内を探ります。
来場者同士がクエストする環境を整えます。

私は、技術職や専門職の抽象表現に可能性を感じています。

完成度の高い完成品は一方通行ではないでしょうか。
技術を持っているからこそ表現できる未完成品が、波紋を起こすのではないでしょうか。


私は、実験を繰り返します。



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