私の持つ技術は特殊です。
100年も前に廃れた、現代には不要とされた技術です。
多くの人にとって価値が無く、また日常で知る機会もありません。
そして、その技術を生かす環境も特殊です。
極限られた技術者同士が集まる空間、社会とは遮断された独自の時間軸と評価軸が適用されます。
それが特別な存在かというと、その環境内では決してそうではありません。
それでお金が稼げるかというと、その環境内では決してそうではありません。
その環境内で、己の技術を心から愛し続けることは容易なことではありません。
ただ私は、誰よりも古着を愛し、スーツを愛し、洋服を愛しました。
私は、私の技術を価値あるものにするために、愛し続けるために、環境を越える必要がありました。
「このままではいけない」と。
予想もしなかったのは、環境を越えるとき「技術」が大きな障害となったことです。
技術が技術で表現されるうちは、誰にも何も届きませんでした。
何故なら技術は手段だからです。
思想があって初めて技術が活きてきます。
自分が何のために生きるのか、何に感動するのか、何を美しいと感じるのか。
それらを追い求め、形にしたいと願ったとき、技術が活きるのです。
それらを追い求め、形にしたいと願ったとき、技術が活きるのです。
そして、思想は環境を越えてゆきます。
多くの人が興味を示し、価値を共有してくれます。
思想を表現した技術が、人に伝染し、新たな創造が生まれます。
私の技術との向き合い方です。