美しい言葉だと思う。
芸術とは、表現の技術であると書いたのは、アメリカのテーラー「フレデリック・ティモシー・クルーンボーグ」
1917年に出版した「Red Book」のなかの一文だ。
アメリカらしいスーツの代表格となった「サックコート」のページに記されている。
レッドブックと、レッドブックの10年前に出版された「ブルーブック」の両著書は、21世紀の現在も改正版が出版されるほど、伝説的な本として受け継がれている。
この2冊のあいだに、第一次世界大戦を挟んでいるのも大変興味深い。
この世界大戦をきっかけに、フレデリック・ティモシー・クルーンボーグ氏の製図方法が大きく変化している。
話しがそれたが、私にとって「技術とは感動の表現」である。
自身の感動を表現するために、私は私の技術を用いたいと強く願っている。
前の投稿を引用するならば、完成度の技術に興味はない。
まったく興味がないわけでもないし、その道を進むことを否定はしない。
ただ私は、解像度の技術を磨きたい。
同時に、技術の解像度を深めたい。
1着の、たった1着の、目の前にある薄汚れ、廃れ、忘れ去られた旧き衣服を、「感動」と受け取ってしまったからには、その感動を表現するしかないだろう。
その感動を表現する技術が、芸術なのかどうかは私自身には解らないこと。