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感動の越境について

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技術は環境のうえで価値を発揮する

私には服づくりの技術はある
しかし、アパレルという環境で私の服づくりの技術は無価値に等しかった

ひとことでいえば「こだわり過ぎ」ていた
マスに向けた量産製品をつくっている以上、ある程度の「薄めた表現」を求められた

私には薄める技術が欠落していた

アパレル業界のなかでも、こだわりのブランドとして名の通った会社に勤めていたが、資本主義のシステムのなかで量産製品をつくっている以上、私の表現とは相容れなかった


私にとって技術とは、感動を具現化する手段だ
私の感動は、私の技術のうえにしか成り立たない

私の感動が価値を生む環境へ、自ら向かわなければならない

環境を越えるのに、技術は邪魔でしかない

まったくちがう環境にいる人間に、いくら技術の話しをしたところで、なにも伝わらないだろう

環境を越えるには哲学や情熱、誠実さが必要だ
そうして足を踏み入れた新たな環境のなかで、自身の培った技術を発揮して感動をつくっていく


私は、服づくりの技術をアートという環境で表現した
(意図してなかったが、そのように評価されることが多い)
結果、美術館や博物館の既成概念を壊すことにつながった

美術館では、展示物に触れられない
内部構造を覗き見ることも、試着して着心地を味わうことも叶わない


私の感動とは、内部構造と着心地である
それだけを一心に表現したい


たまたまビジネスとして成り立った
ほんとうに偶然だった

自身の技術や好きなものに対価を支払ってくれる人は必ずいる
技術や好きなことが報われる環境は必ずある
哲学をもち、情熱を燃やし、誠実に向かうだけだ

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