ページ



自分の穴

| |


「好きなものが見つけられない」

教育機関で講義をすると、多くの学生からこの言葉をもらう。

ここで言う好きなものとは、時間を忘れて没頭してしまうような、人生を懸けて挑戦しようと思えるような、そんな「熱狂的な好き」を指す。


そもそも、そのような好きを見つけ出す必要があるのかどうかはわからない。
ただ、「好き」に出会ってしまった前後で、私の思考は180度かわった。
ひとつの指針が自分のなかに決まることで、悩んでいるほとんどのことが迷いなく進むようになる。


だから今回は「好きの見つけ方」について書いてみようと思う。

前提として、好きは突然現れない。空から降ってきたりはしない。
無意識のうちに、好きに出会う脚本を自身で書いているはずだ。
ふと、目に留まったそれを「好き」だと「運命の出会い」だと、錯覚するような前振りを自分自身が演じている。

好きは、育てるものだ。
時間をかけ、ゆっくりと育て、どこかのタイミングで認識する。
偶然ではなく必然だ。

誰でも、いつからでも、好きの種を蒔くことができる。



私は、
好きは、経験(知識)がみつける

好きは、尊敬(人)がみつける

好きは、行動(足)がみつける

と思う。



まずは「経験」

知るから好きになれる。
知らないのに好きなれるか?
好きになる第一歩は、知ることだ。

これは一体なんだろう?
興味を持ったものを調べると、どんどん解る。
解ると愛着が湧く。

そうやって好きへの知識を貯めていく。
貯めたものは、必ず外に出す。
知識を経験に変えていく作業だ。

まずは、好きを人に話すでも良い。
好きが高じて、自ら物をつくり上げるかもしれない。
好きなものを伝える、つくる、表現することで、蒔いた種から芽が地上に顔をだす。

経験はより強く、好きを認識させる。
知ったつもりになっていたことを気付かせてくれる。
経験によって、深く好きと対峙することができる。

好きへ掛けた時間が経験になるのではなく、好きへの失敗の数が経験になる。




「尊敬」については、また書く。

ARCHIVES

Search this blog