2016年。
初めて個展を開いたときに意識したことは「多様な価値観」に触れることでした。
展示される衣服をみて「芸術」だという人もいれば「教科書」や「コンテンツ」だという人もいる。
当時、私が最も興味をそそられたのが「他者の視点」であり、その視点を少しでも多く引き出す為に「展示のキャプションは簡潔に」「展示品に私の思想はのせない」という2点を意識していました。
しかし、今回は違います。
私の眼にどう映っているのか。私はどのように考えているか。
私と その1着 の関係性について書くことにしました。
特に想い入れの強い1着には、こんな言葉を添えました。
Episode
「それは、フランスの消防服でした」
20歳のとき、この服に出会いました。
その頃の私は、夢中でスーツを縫っていました。
学生の私は Homme(オム) という分野を専攻しており、最終課題である Tailleur(タイユール)に取り組んでいる真っ最中でした。
オムとはフランス語で「メンズ」のこと。そして、タイユールは「テーラーメイド」のことです。
つまり、紳士服のスーツを自分の手でデザイン・設計・縫製するのが最終課題でした。
スーツが背負う歴史も、スーツを縫い上げる工程も、複雑で掴みどころがなく、その面白さに夢中で取り組みました。
例えば「八刺し(はざし)」と呼ばれるステッチは、スーツの造形を支える芯地を、内側から手作業で留めていく「八」の字型の縫い方。
「縫い込み」と呼ばれる生地は、後からサイズ調整できるよう裏側に隠された、多めの余り生地です。
どれも決して、表からは見えません。
身体に沿った美しいシルエットや永く着ることができる工夫は、裏の構造が基盤となっているのです。
ある日、自分の眼が変わっていることに気が付きます。
多くの人が行き交う街中で、ふと目に止まるスーツがあります。
近寄ってまじまじと見ると、なるほど。
丁寧に時間を掛けてつくられた上等なものだと理解できるのです。
これを "審美眼" と言うのでしょうか。
気付かないうちに「良い服のものさし」が自分の中にできているようでした。
日常が、真新しく映ります。
「あの服は、ここが良い」 「その服は、ここがダメだ」
満員電車の通学時間が、宝探しに変わるのです。
四六時中スーツのことばかりを考えていました。
そうして、導かれたように、この服に出会うのです。
「これはなんだ?」
例えようのない存在感。
この服を、私は、言葉にできません。
自分の「良い服のものさし」の圏外。
あっけない敗北でした。
分かったことと言えば、それが「100年前のフランスの消防服」ということだけでした。
ただ、私にできたのは、なけなしのお金で購入し持ち帰ることだけです。
家に着くと寝食も忘れて、言葉にできない魅力の正体を探りました。
どうしても知りたかったのです。
ここまで強く「何かを知りたい」と思ったのは初めての経験でした。
抑えられない探求心が、その服に鋏をいれました。
服をつくる手順とは、逆の手順で縫い目をほどき、分解し、夢中で裏返していきました。
そして気が付くと、私は、涙を流していました。
何故なら、その消防服は私が学ぶ「スーツ」のつくりそのものだったのです。
粗野なウール生地でつくられた、ただの作業着であるはずの100年も前の消防服は、まるで一張羅のように手作業で丁寧に仕立てられていたのです。
こんな服を、私は見たことがありません。
心から 「美しい」 と思いました。
あの日から9年。
私は29歳になりました。
私の気持ちは、何ひとつ変わってはいません。
「100年前の ” 感動 ” を100年後に伝えたい」
もし、100年後の未来に私のつくった服を誰かが分解して、同じように涙を流してくれたなら、それが私の幸せです。
私が この感動を未来に繋げる と決めたのです。
Detail
この消防服は、私が体感してきた「1820年~1920年ごろの紳士服(軍服、スーツ、作業着)に共通する特徴的な構造」を備えています。
それこそが、9年前、私が魅了され言葉にできなかった 「美しさ」 を構成するものだったのです。
特に、下記3点が私の思う美を構成するにあたり、重要だと考えています。
1つに「大きく後ろに逃げていく前身頃」
2つに「狭い背中に付随する太い袖」
3つに「誇張したなで肩設計」
私はこの構成を、歴史的側面から「18世紀の美意識 『洋梨』 をパターンのみが継承したもの」と考えています。(※1)
フランス革命後、紳士服の主導権をイギリスが握ると、美しさの基準が覆ります。
素材や色、スタイルなど、全く違う見た目に変化しますが「パターン構成のみは、革命から約100年間は継承されている」と、分解した衣服から考察します。
このパターン構成は1930年ごろから徐々に姿を消し、現代の紳士服には全くと言っていい程見られません。
言語化すると、現代では「地面に垂直に落ちる前身頃」に「広い背中に付随する細い袖」そして「体型に沿った肩傾斜」となっています。
この転換期を、フランス革命から第一次世界大戦までは「美意識『洋梨』の継承」第一次世界大戦から現代までは「行動の転換」とみています。
では、このパターン構成を技術的側面からも考察していきます。
「大きく後ろに逃げていく前身頃」
「狭い背中に付随する太い袖」
「誇張したなで肩設計」
これは、紳士服で用いられる「体型補正」の概念を持って視ると「超鳩胸・超なで肩」の設計に該当します。
西洋人の「骨格」や「体型」に合わせた設計である。(※2)と考えることもできますが、20世紀のポートレートを注意深く見ると、それだけで片付けることはできません。
反身・なで肩体型の彼らが着用しても、極端に逃げる前身頃、ねじれた肩、SNPから発生するシワが確認できます。
つまり、体型や骨格を補正する以上に、18世紀の「美意識」が20世紀初頭までは、パターンに継承されていたと見ることができます。
特筆すべきは、美しさを求めたパターン構成は同時に「機能性」にも優れた設計だったということです。
「お洒落は我慢」という言葉を耳にしますが、紳士服にそれは当てはまりません。
美しい服は動きやすく、動きやすい服は美しいのです。
現代の基準で、1820年~1920年ごろのパターン構成をみると「狭い背中に、イセ込みの無い肩」が目に留まります。
一見、それは窮屈そうに見えますが、そんなことはありません。
現代とは全く違う方法で、美と動を両立させているのです。(※3)
私は、私の思う美しさを歴史と技術、双方から捉えるようにしています。
そして、半・分解展では、この研究結果を「体感」することで提供します。
私が収集・分解した、フランス革命から第二次世界大戦までの衣服標本。
そして、その標本からパターンを抜き取り、試着サンプルを製作しました。
20歳の時に私が感じた 「100年前の感動」 を貴方の身体で浴びてください。
※1 - 「洋梨の美意識」は、フランス革命中の衣服で解説します。
※2 - 体型・骨格以外にも「中に着用するシャツや首元の装飾品を補うためのゆとり」という考察もできます。しかし、19世紀初頭にフロックコートが誕生してから、シャツも装飾も非常に簡素なものに変わります。にもかかわらず、その後100年間同じパターン構成なので、インナーや装飾のための設計ではないと言えます。
※3 - 現代と全く違う設計はラウンジスーツのコーナーで解説しております。
以上です。
このような文章を、各展示物に添えています。
この言語化されたものを、試着サンプルで体感することができます。
私の考える美を感じてください。
私の考える美を感じてください。
半・分解展では、様々なイベントも開催されます。
詳細は半・分解展HPをご覧ください。
中野香織氏とのトークショーは下記からご予約ください。
お待ちしております。