半・分解展のジレンマ

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悩んでいます。

この負の感情は、東京展を終えて愛知展が始まったころに芽生えました。
悪い芽は早く摘みとってしまいたいのですが、現在進行形で私の中で日に々に大きくなっています。


悩みの種となったのは「納得感」です。

私は、東京を終え、愛知の中盤から半・分解展を ” 納得 ” し始めました。

人は納得すると、自己肯定感や満足感に包まれます。
それ自体はきっと良いことのはずですが、私には悩みの種を育てる養分となってしまいました。


私は「伝わった」という感触に、納得感を覚えました。

私は「100年前の感動を100年後に伝えたい」という想いのもとに生きています。

私のいう感動が、相手に伝わったと私が思った時に、私は私を肯定し、半・分解展を納得していました。


問題なのは、相手に伝わったと私が思った時とは「私が私の言葉で話したとき」なのです。
これは諸刃の剣です。

半・分解展は、私が不在では成立しない危ういものかもしれないのです。


愛知展から私が納得感を覚えたのは、単純にコミュニケーションの質が上がっていったからです。
東京展では、人が多すぎてコミュニケーションに限界がありました。

衣服標本に試着サンプルにパターンにキャプションに・・・
ありとあらゆる手を使って、伝えることを徹底しましたが、私のレクチャーを聴くと聴かないのでは理解度が全く違ってくると、多くの人に言われました。


この問題は、何かを表現する人に必ず立ちはだかる壁です。
解決のセオリーは幾つか確立されていますが、私はまだまだ悩みそうです。


摘み取れなかったのは、この芽が咲かす花に興味を頂いてしまっていることや、この芽の下にある根が私の大切なものだから




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