自身の持つ技術をつかい、一体だれを感動させるのか
自分は、誰に向けて表現するのだろう
2016年 27歳で独立してから5年が経った
この5年で、感動をぶつける相手がようやく解った
今日はそのことについて書き記す
独立前、私は会社員だった
そのころは誰に向けて表現をし、誰に向けて物をつくっているか全くわからなかった
会社は三方よしを掲げてはいたが、社長による社長のための物づくりをしていたと誰しもが気付いていた
社長のための物づくりに抗い続けた5年6ヶ月だった
独立してから私は、外の世界を知った
半・分解展という個展を通して、私が秘めていた感動に対価を支払ってくれる人たちに出会った
本当に驚いたし、とても気持ちの良いことだった
しかし、まだ怖かった
感動で食べていくことは怖かった
それが一体どういうことかも解らなかったし、なにより具体性がないのが怖かった
だから独立した2016年~2018年の2年間ほどは、技術で食べていた
技術は怖くない
具現化ができるし、目に見えるし、手に取れる
技術で物をつくり、お金を稼いだ
私の物づくりの相手は、ブランドやメーカーになった
会社員のときより、はるかに幸せな物づくりになった
私の個展に来たデザイナーたちが、私に仕事を依頼した
私の個展に来るくらいだから、私のテイストを理解してくれていたし、理不尽な金額交渉などもなかった
しかし、それでも私は違和感を拭えずにいた
「100年後に感動を伝える」という私の目的に、この仕事の道は続いていないことに気付いた
デザイナーに求められるものを納品しなければいけない
それに工業的でなければいけない
常にコストを意識しなければいけなかった
私にしかできないことをしなければならないと思った
それはなにか大きなことをやることでもなく、自身の感動を純度高く具現化するということだけだった
2018年は人生の転機となった
私は29歳となり、子供も2人産まれ、二度目の半・分解展をおこなった
そこで、大きな収入を得ることができた
荒削りではあったが、手元には大金が残った
このとき売り上げに貢献したのが、型紙だった
私の感動を設計図にした型紙が売れた
売れるなんて想像もしなかった
と、同時に個人から直接オーダーメイドの依頼も増えた
そして私の物づくりは、型紙の製作と、個人オーダーに変化していった
個人オーダーは気持ちが良かった
ブランドやメーカーに属するデザイナーに対してつくるわけでなく、あくまで一個人に物づくりができた
半・分解展に強い興味があり、私の研究を理解する人たちがオーダーをしてくれた
本当に気持ちの良い物づくりができた
2018年~2021年上半期の2年半は、個人オーダーをたくさん縫った
しかしまだ満足できなかった
精神的に満たされることは、ただの一度もなかった
私は私の感動を具現化したい
私は私の物づくりをしなければならない
2021年 3度目の半・分解展が終わったときに決めた
私は私のものづくりをしなければならない と
自分を感動させられなくて、一体だれを感動させられるのか
この時から、また私の表現はかたちを変える