ページ

=




学生のころに気付いたことがある。
全部「=」(イコール)に繋げると物事がスムーズに進むなと。


卒業制作と就職活動に板挟みにされ、就活が進めば各企業から課題制作も課せられる。
時間が足りないよと嘆くなかで「=」に気付いたらしい。


卒業制作は、文字通り学校生活の集大成。
学んだことを存分に活かし、自分の世界観をつくりあげる課題だ。

就活で言い渡された課題は「ウチらしいテイストで来季のSSをイメージして3型くらいつくってきて」「〇〇と〇〇の2ブランド分をよろしく」
みたいな内容だった。

卒制は良いとしても、就活の課題制作には頭を悩ませた。
まず前提として「あんたんとこのテイストなんて知らんがな」と思った。

卒制と就活の両立。
クオリティとコストと納期の問題が、あまりに複雑に絡み合って、身動きがとれなくなった。

そんなとき頭のなかに「=」が降ってきた。

卒制と就活の「=」を見出せば、同じものをつくっても両者にプレゼンできると気付いた。


「個別の洋服」と考えると、つくるものが増えすぎて手に負えないが、共通のコンセプトやテーマでプレゼンすれば何の問題もないと考えた。

結果、無事に卒業制作も提出し、メンズ大賞なる賞をいただき、就活課題を出された会社からも内定をもらった(内定を蹴って別の会社に行ったけど)


学生時代のこのときの「=」を持つ感覚は、深く自分のなかに印象付けられていた。

その後の社会人生活でも、苦しいとき「=」を探すクセができて、どうにか乗り越えてこれた。


そして29、30歳になったころ、10年越しに「=」がなにかを知った。

それは「抽象化」という人間固有の能力だった。
森博嗣さん、養老孟司さん、細谷功さん、外山滋比古さんの書籍すべてに書いてあった。


自然と自分が使っていた能力を、言葉として発見したときは驚いたような嬉しかったような、ムズ痒いような不思議な気持ちになった。

この抽象化という力は、何度も私を救ってくれた。
これからも磨き続けたい感覚だ。